2018年09月02日(日) 【スピリチュアルメッセージ集 疲れた時迷った時に光を受け取れます/「スピリチュアルブログ☆宇宙の兄弟たちへ」より】 ■スピリチュアルメッセージ集 疲れた時迷った時に光を受け取れます 2018年4月21日 ●日本の神道系の霊存在から受け取ったスピリチュアルメッセージ 光の溢れるスピリチュアルメッセージを集めました 疲れたときや落ち込んでいる時には読んでみてください さまざまな種類の生き物がいてこそ楽しいのではないか 鳥ならすずめしかおらず、魚は鯛しかおらず、木は杉の木しかなければこの世は味気ない世界になるのではないだろうか 様々な挫折や苦労を経験することはつらいであろう、植物の松にしたってまっすぐに伸びることなく変形したように見えるがそのすがたこそ美しいと感じるのではないか 杉の木のようにまっすぐたっておれば木材として重宝されるであろう しかし松にはそうした実用的なことと関係なく私達に美しさを見せてくれる 単に実用的で効率のみで物事を見る目からすれば枝も幹も歪んだ松は無用のものとうつるかもしれない しかし芸術家の目から見ればそれは価値あるものなのだ 人生において挫折や汚点と思われることもそこから立ち上がり成長しようとする様は神の芸術的目からみれば美しいものとして見えるのだ 何の挫折もなく優秀な大学を出て失敗することなくよい職場につき成功しようともそれはまっすぐに育つ杉のようで役に立つかもしれんが美しい姿かはわからんであろう 陶芸も左右対照のととのった器は有用ではあるが芸術家の作品などを見れば形が歪んだり素人の目からすれば失敗作のように見えるであろう そうしたもののなかにも真の芸術家の目から見れば美しい輝きを放っているのである あるがままという言葉の響きは美しいが、成長しないことの自己弁護に使ってはいけない 私達はあるべき世界について思いをはせなければ生まれてきた意味がないのではないか 理想とする世界を思い描いてそこへ向かう成長があるのではないだろうか ただあるがままのそのままの状態を良しとし、何らの成長を望まないのであればこの世に生まれてくる必然もなかったと思う 真理は多面体の宝石のようであるがその一面のみを見て良しとするか、そのすべての面を味わい尽くそうとするかの違いともいえる ●人生の内向きと外向きの時期へのスピリチュアルメッセージ 人生には内向きの期間と外向きの期間が必ずある 外向きの期間とは、外界へと意識が向き、社会にて活躍し、成功をおさめて人から称賛される時期でもある 一見艶やかで、輝いている時期に見えるだろう 内向きの時期とは、充電期間であり、自らの内を見つめ、蚕が餌をはむように学び、力を蓄える時期である いま世間でよく言われているウツや引きこもりの時期もそうした内向きの時期にあたる ともすれば、成功のみを求めて、雌伏の時を嫌がり、無駄に過ごすことで、次なる飛躍の時を逃す者もいる 美しき揚羽蝶も幼虫の時期はひたすら緑を食み、力を蓄えている 人が青虫の姿を見て嘲ようとも、彼らはやがて美しき蝶へと羽化する姿を知らないだけだ そうした人の言葉に傷ついて気にとめるのではなく、一本一本歩みを進めることが重要ではないか いつとは知れぬ歩みに、時として不安になり、その道程を引き返す者もいる いつになれば幼虫から蛹になり、やがて羽化するか、その時期は人にはわからない その時期は御心にゆだねなさい 人間心でいついつまでと決めつけたり、不満や恐怖や、悲しみ、絶望、不安に苛まれることなく、歩んでいくことが重要 力を蓄え、学びを深めていったなら、次にはそのエネルギーを自己表現の場としての創作へと向けてください 音楽や絵画などの芸術的なる表現であってもよいし、主婦であれば料理や部屋の整頓方法に、仕事を持つ者であれば新たなアイデアや創意工夫に向けたらよい 内に込められたエネルギーをマイナスに使うのではなく、そうしたプラスへと転じるエネルギーへと向けてください 人は山の頂きを目指す旅人のようなもの 一度登ってみると、そこは何もない岩だらけの荒れ地 眺めはよいが生命感の感じられぬ所 谷へと降りれば、小川が流れ、生き物たちは憩い、愛を語り合って生きている 谷にあるからこそ生命の豊かさを味わい、その深さを知る 頂上にばかりは人は住めない 一つの山を登っては降り、また新たな山を目指していくもの 内なる光を見よ 自らの内に宿る光 他者の内にも神性が宿っている 人は表面の働きにしか目がいかないため 汚れていたり 傷ついている面しか目に映らないのだ 内奥にある神性は汚れることなく 傷つくことない いつも燦然と輝いている 自らの輝きを見 人のうちなる輝きをも見よ ●無限の成長を目指してスピリチュアルメッセージ すべては 無限なる成長を目指し 無限なる発展を目指し 無限なる繁栄を目指し 永遠なる向上をなしていく そのなかにおいて他を害することなく 互いに調和し 自らの発展を 他の存在を助けるものとすべし ゆめゆめ自らの成長が 他を害するものであってはならない 互いが支え合い向上しあってこそ 親神へと向かう永遠の幸福の大道である すべてのものよ 神の光を体現せよ 神の栄光を体現せよ 神の繁栄を体現せよ 神への道を歩んでいけ それが 惟神の道である ●人の使命のスピリチュアルメッセージ 人の世に出たるのは、世を照らすためである 世を照らし、人を照らし、通り(道理?)を照らして、人の歩む道を照らし出す 世が暗くなっているからと嘆いていてはいけない 自らが光を掲げる者となって、薄暗い夜道を煌々と照らしていきなさい 人々に、ことに日本人に罪の意識を植え付けて、それがよかれと思ってなしている者たちもいる しかし、人は生まれ持って罪を背負っているのではなく、みな光の存在として生まれいでているのだ 人々の内なる光を覆い隠し、人間の存在をつまらぬものとし、貶めることこそ罪なのだ あなた方は罪の子ではないと、原罪を背負って償うためにあるのではないと、本来は光明をもたらす存在である光の子らであることを伝えたい ●光を取り戻すスピリチュアルメッセージ 人は本来、自らのうちに光を宿したる存在です 煌煌と発する光が、一時期暗んでしまうように見えることもあるでしょう まるで、はじめから光が灯っていないかのように、錯覚することもあります しかし、光は確かに灯っております 人は生きているうちに、あるいは転生を通じて、本来の自己と違った思いや行いを繰り返すうちに、曇りを作り出し、光を見えなくしているのです ランプを思い浮かべられよ。灯った炎は、ガラスに煤(スス)が付着すると、明かりは僅かしか漏れなくなるであろう そのように、人もまた、心に煤をつけたままでは、光が薄れて見える 禊(みそぎ)とは、張付いたアカや煙を払い、本来の光をとりもどす作業である 水に浸かればよいというものではない 光の子が、本来の自己に帰っていく為の作法である 心の穢れを祓い、心を清めよ そのようになせば、光は自然と内から溢れくる ※ブログ管理人・洪正幸さんによる自己紹介 人生のどん底にあるときに、苦しみの原因すべてが自分の心の現れだったことを、啓示が雷となって頭上に落ちたように感じる体験をし、世界を見渡すと物質の殻に閉じ込められていた世界の真実の姿である、愛の波動が脈打つ美しい実在を知り、感動で涙を流しました。 それ以来、不思議なことが起こり始め、人の前世も見えるようになり、実は私たち人間の中には、別な惑星から生まれ変わってきた魂のいることも知りました。 私自身もそうしたスターシードと呼ばれる宇宙からの魂であることを自覚し、同じように別な星から来た魂たちへのメッセージとしてブログを運営し始めました。 「スピリチュアルブログ☆宇宙の兄弟たちへ」さんより転載 https://www.spacebrothers.jp <<重要なお知らせ>>@peps!・Chip!!をご利用頂き、ありがとうございます。
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