文政6年(1823)6月頃に播隆は初めて笠ヶ岳に登り、それまで途絶えていた笠ヶ岳の再興を決意する。本覚寺の椿宗和尚、地元の今見右衛門公明らの協力を得て登山道の整備に着手、早くも50日にして登山道が完成した。 登山道の完成を祝う里人に迎えられた播隆は、笹嶋の観音堂において二夜三日の別時念仏を勤め、同年8月5日村人18人とともに3回目の登山を果たす。この時、山頂において阿弥陀如来の御来迎(ブロッケン現象)を拝んだ。 同年8月22日、本覚寺において山岳史上の貴重な文献「迦多賀嶽再興記」を著す。現在、本郷地区上宝村役場隣にある「ふるさと歴史館」では、播隆が笠ヶ岳登山道に道しるべとして安置した石仏や、播隆の記した笠ヶ岳再興記等を見ることが出来る。 笠ヶ岳頂上より朝日のかかる槍ヶ岳に阿弥陀如来の姿を見、播隆は槍ヶ岳登頂を決意したに違いないと研究者の多くは語る。笠ヶ岳山頂からは毎年9月の初旬に、槍の穂先の背面から朝日が昇る姿を見ることができる。 [先頭ページを開く] [指定ページを開く] <<重要なお知らせ>>@peps!・Chip!!をご利用頂き、ありがとうございます。
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